内なる私は死なない。前編

内なる私は死なない。この体は、内なる私がこの世の物事を見たり体験したりして成長するための道具のようなものなんだ。内なる私は永遠なのだ!前編

内なる私は死なない。この体は、内なる私がこの世の物事を見たり体験したりして成長するための道具のようなものなんだ。内なる私は永遠なのだ!
死というテーマ
死は強制退場
Gメソッドでの 「死」
内なる私は死なない。この体は、内なる私がこの世の物事を見たり体験したりして成長するための道具のようなものなんだ。内なる私は永遠なのだ!
(「サラとソロモン」より引用)

「サラとソロモン」の中で、フクロウのソロモンが銃で撃たれて死んでいく場面が出てきます。その時の文章を取り出しました。

「本当のソロモンと混同してはいけない。この体は本当のソロモンが特定の見方でこの世の物事を見たり体験したりするための道具のようなものなんだ。もっと大きな存在が、その一つの見方を通して見ているだけなんだ。君の体だって同じなんだ。
サラ、それは本当の君自身ではない。それは、本当の君が遊んだり、成長したり、喜んだりするために、今の間だけ使っている道具なんだ。
ソロモンはどこにもいかない、永遠だ!

サラ、よく聞くんだ。僕は死にかけてなんかいない。だって、死なんてものは存在しないからだ。
もともとこの体はちょっと古くて固くなってきていたんだ。

君がソロモンとおしゃべりしたい時はいつでも、何を話したいのかをはっきりさせてから、それに意識を集中させて、とてもいい気持ちを感じさえすればいいっていう意味なんだ。
そうすれば、僕は君と一緒にここにいられるんだよ。

あのね、サラ、君はただ、ある特定のあり方のソロモンを見ることに慣れていただけなんだ。

でもね、今、君はこれまでよりずっと強くそれを求めるようになったから、ソロモンをこれまでよりもっと広い見方でみることができる機会が得られたんだ。もっと普遍的な見方で見る機会だ。

つまり、ほとんどの人々は物事を肉眼を通してしか見ることはないんだ。でも今、君はもっと広い見方で見る機会が得られたんだよ。物理的な存在としてのサラの中に生きている本当のサラの目を通して見るという機会だ。

そうだ、サラ、その通りだ。そして内なるサラは永遠に生き続けるんだ。その内なるサラは決して死ぬことはない。ちょうど、今、君が見ているこの内なるソロモンが決して死ぬことはないのと同じように。」

死というテーマ
Gメソッドの成り立ちに大きな役割を果たした、「サラとソロモン」の本の中の引用を読んでいただきました。

その中の大きなテーマが「死」というテーマです。

今日はGメソッドの中で、「死」というテーマを扱ってみたいと思います。

「死」といいますと、なにか暗くて、寂しくて、つらいものだというイメージがあります。

仏教の中でも、お釈迦様は生老病死の4つの苦しみの教えを説いておられます。死は大きな苦しみのひとつであるという教えです。

その影響も大きいのかもしれません。

日本では、死はなにか恐ろしい、忌み嫌う、つらいもの、嫌なものというイメージです。

そして人間として生まれた限りは必ず死ぬ。これは、ハズレなしの大予言です。

100%どの人にも起こります。もしあなたは将来必ず死にます。という占いをした場合、あなたは、100点満点の占い師になれます。ただしそのテーマだけになりますが。

しかしながら、死という話題はなんとなく話しづらいテーマでもあります。

死は強制退場
ドイツの実存主義哲学のハイデッカーという人がいます。

彼は、人間の死のことを”強制退場”と呼びました。

人間は、自分でもわからないどこかの時期に、死という強制退場をさせられる。

だから生きる意味を考えて、生きてることを大切にしようよ、と説いていったのでした。

サッカーの試合でも、危険行為をすると、レッドカードで一発強制退場です。

野球でも打者の頭部に死球を投げると、ピッチャーは一発強制退場です。

このようにスポーツの世界でも強制退場はあります。

私達もいつこの世から強制退場する日が突然やってくるかもしれません。いずれの日にかは必ずやってくるのですが。

そういう意味では、もしかすると死刑囚と同じといえば同じかもしれません。

凶悪な罪を犯したか、犯していないかの違いはありますが。

死刑囚は、刑がいつ執行されるかはわかりません。

朝の時間に刑務官がきて、本日が刑の執行を行うと、と伝えられます。

すると身を整えて、教誨師という牧師、僧侶などのような崇高な方から死についての説教を聞きます。

そして刑に臨む心を整えて刑の執行が実行される。

苦しみは一瞬あるかないかで死刑が執行されます。

一般の人にとって、いつ死ぬかはわかりません。誰にもわかりません。

誕生する日は、正確にはわからなくても、大体はわかります。

出産予定日の前後ですから。大きく外れることはありません。

しかし死ぬ日時は、大体もわかりません。

突然、くも膜下出血になって亡くなる方もいます。

突然の交通事故に遭って亡くなる方もいます。

どんなにこちらが安全運転していても、センターラインを超えて突っ込んでくるトラックと正面衝突してしまえば、ひとたまりもありません。

また、乗っている飛行機が墜落することも確率は低いながらも起こりうることです。飛行機が墜落すれば、まず命の保証はありません。

このように考えると人間の死という問題は、人間的な努力や工夫をしていても完全に防ぐことができないものです。

またどんなに事故災難病気にならなくても100年以上生きればいずれ老衰で死んでいくことでしょう。

早いか遅いかの違いはありますが。

死刑囚も早く刑が執行される人もいるかと思えば、遅く執行される人もいます。

また途中で恩赦があって死刑が免れる人もいたりします。

いつ訪れるかわからない死と向き合うという点では、死刑囚とおなじなのかもしれません。

Gメソッドでの 「死」
それでは、Gメソッドでは死に対してどのように向き合っていくのでしょうか。

Gメソッドは「サラとソロモン」ソロモンの言葉と同じような立場をとっています。

「内なる私は死ぬことはない。
内なる私は永遠である。
内なる私が、この世で魂が成長して完成するための道具として肉体がある」
という考え方です。

そしてGメソッドは生きている時に、内なる私を成長させ完成させるためのメソッドであるということなんです。

ですから結論だけになりますが、
Gメソッドはこの世だけでなくあの世でも使えるメソッドなのです。

とはいっても、同じ生きるならば、幸せに、楽しく、できるだけ元気に長生きしたいものですよね。

そのためにはコツがあります。
次回のブログでも述べていきますので

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