私の感情タイプ
よく私は短気で気が短い。
私は感情的なタイプだ。
あの人は本当に冷たい人だ。
あの人は血気に走るタイプだ。
かーっとなると何をするかわからない人だ。
この恨み、絶対忘れるものですか!
許すことは死んでもできない!
とか感情に極度にとらわれて.握りしめてしまうことがあるものです。
またそのような感情の虜になっている人も見かけます。
感情の虜になり、感情をにぎりしめてしまうと、感情が見えなくなってしまいます。
感情に気づかなくなるほど感情と一体化、同一化してしまうからです。
感情=私
私=怒り、悲しみ、苦しみ、辛さ
のような式ができてしまいます。
そうするとどういうことが起きるでしょうか?
感情が人生を創る
そのネガティブな感情が次の人生を作り出してゆくのです。
良い感情であれば、次の良い人生を創り出してゆくので、素晴らしい未来が作られていきます。
しかしネガティブな感情を握りしめて、同一化してしまうと、ネガティブな未来を創りだしてしまいますので、これはとんでもないことになってしまいます。
避けなければならないでしょう。
わたし達は良きにつけ悪しきにつけ人生の創造者なのです。
私達の感情や意識が人生を創造していきます。
しかしながら、悪い創造者にはなりたくない、、、。
可能ならば、良い創造者になりたいものですね。
そのための第一歩が、
「気分に気づく」
ことなのです。
自分の感情を一歩離れた立場から、客観的に見つめるということです。
Gメソッドの大切なワークが、
「気分に気づく」
ということです。
基本中の基本となります。
本来の自分から見つめてみる
自分の感情をもう1人の自分がみつめているというのか、本来的な自分が今の自分をみつめているという感覚でしょうか。
一歩高い位置から、自分の感情を俯瞰するのいうことでしょうか。
<人間は考える葦である>
と、パスカルは唱えました。
考えることを重要視したのです。
その次に、
<我思う故に我あり>
とデカルトは唱えました。
デカルトは全てを疑いました。
<目の前の全ては本当なのか>
と、疑いました。しかしどんなに疑っても、疑っているという私の理性は否定できない。
そこから、理性を一番とする
理性論というものを提唱しました。
人間の考える力を強調したのです。
パスカルの哲学がさらに進歩したのかもしれません。
それから300年経過して、フランスに
ジャンポール・サルトルが現れました。
サルトルは、本来的自己を提案しました。
<私は本来的自己に回帰する私なのだ。>
その本来の私の立場から、今のわたしを客観的に冷静に見つめる視点を提唱しました。
実存主義哲学です。
小難しい名前はともかく
もう1人の自分が、今の自分を客観的にみつめるということです。
これをもって人類の意識は飛躍的に進歩しました。
感情にとらわれない
そして、感情にとらわれないで
感情はわたしそのものではなく、
例えば、泥道を走ると泥が跳ねてズボンに泥がつきます。
その服についた泥の汚れみたいなもので、洗えば綺麗にとれるものです。
ネガティブな感情もわたしそのものではなく、泥の汚れのように、綺麗にとることができるというものです。
そのためには、客観的に泥の汚れがあることに気づくことが第1に必要です。
気づかない汚れは、落とすことができません。気づかないからです。
泥をつけたまま生活してしまいます。
泥の場合は気づかなくてもどうということはありません。
泥が悪さをすることがないからです。
しかし、気づかないネガティブな感情は困ったものです。
どんどんと人生を悪くしていきます。
さらに苦しみの鎖に繋げて次から次へと連鎖してしまいます。
苦しみの鎖ということも、気づく必要があります。
苦しみは鎖のように繋がっていく。
苦しみの連鎖の中にあるということをまず、気づくことが重要です。
自分が相手を非難する。いつもあいつが悪い、自分は正しいのに。そういえば別のあいつの考えもおかしい。全然なにもわかっていない。
そもそも世の中わかっていない人がおおすぎる。
政治も狂っている!などなど
次から次へと連鎖して非難の感情が増幅されていきます。
非難の感情は嫌な気分なのです。
嫌な気分は良いものを創造することはありません。
本当に<苦しみの鎖>に気づくことが重要です。
さらに苦しみの鎖は連鎖することにも気づくことが重要です。
客観的に気づくとそこから抜け出すことが可能になってきます。
気づかないと、虜になって、苦しみの牢屋に閉じ込められてしまいます。すると酷いことになってしまいます。
気分に気づく。
苦しみの鎖にとらわれていることにも気づく。
Gメソッドをすでに実践されている方も、時々気分に気づくという基本に立ち返ってみてください。
そして気づいたあとはそれを転換していい気分になることです。
Gメソッドは、個人コンサルがあります。そのおかげで、全員が挫折することなく、豊かな成果を得ることができるのです。従来のメソッドとは全く違うオンライン講座なのです。