しつけと虐待の境界線なんてありません。しつけ、なくても大丈夫。
こんにちは、Gメソッドカウンセラーの、ユッティです。
目くじら立ててしつけなくても、すくすく育った3人の娘息子がいます。3人とも永遠の伴侶に出会い、幸せに暮らしてくれています。
しつけの呪縛に苦しめられ、社会の束縛の中で、子供達をどう育てていいのか、どうすれば子供が元気にしっかり、心優しく、できれば優秀に育ってくれるのか。
毎日子育てをしながら悩むこと苦しむことも多いのではないでしょうか?
昔と違って、ほとんどの家では、親だけが子供のことを見ています、おじいちゃんやおばあちゃん、地域がみんなで子供を育てていた時代とは違います。
子供がいじめられたらどうしよう
不登校になったらどうしよう
こんなに勉強しなくて、いうこと聞かなくて一体どうしたらいいだろう。
喧嘩も絶えないし、勉強も難しそうだし
毎日のように新聞やテレビに登場する虐待のニュースを見て、心痛めているママさんがたくさんいらっしゃることでしょう。
人ごとではない、こんなに毎日叱って自分も子供を追い詰めて虐待になってるんじゃないだろうか。
心の奥でひそかに悩んでいるお母さんもいますね。
いつもいつも虐待のニュースで親が使う言葉
しつけのためにやった、、、
その度ごとに話題に上るのが、どこまでがしつけでどこからが虐待かという問題です。
私には関係ないと思っている方も、人ごとではないと思っている方にも、ぜひ伝えたいことがあります。
目次
そもそもしつけって何?
子育ては孤独
幼少期はなんのためにあるのでしょう?
しつけの代わりに大事なことはひとつだけ
まとめ
そもそもしつけって何?
幼児教育、家庭教育などのサイトを見れば、最低限しつけておくことが望ましい内容がでてきます。
挨拶
食事
自分のことは自分でする
マナー、ルールを守る
「たしかにしつけは重要です。幼児教育では最低これぐらいはできるようになりましょう。」
こんな言葉が並びます。でも、強制ではなく、自分からできるように声かけしていきましょう。って。
裏を返せば、それができてない子供は、家でのしつけができてない無能な親に育てられてたってことになります。
あんなに大声出して
親の顔が見てみたい
親のしつけがなってない
親は何してるんだろう
そんな影の声に怯えてお母さんたちは、さらなる厳しいしつけを決意します。
まるでペットの調教のように
人に会ったら挨拶しなさい
外から帰ってきたら、手を洗ってうがいをしなさい
靴を揃えて上がりなさい
帰ったらカバンの中の弁当箱をすぐに出しなさい
ゲームの前に宿題をしなさい
ゲームは一時間でやめなさい
遊んだおもちゃはきちんと片付けなさい
脱いだものは洗濯機に入れなさい
はしの持ち方をきちんとしなさい
脱いだものはきちんと洗濯機に入れなさい
明日の準備は今日のうちにやりなさい
どうして21時を過ぎてるのに起きてるの!
なさいなさい。やりなさい。こうしなさい。どうしなさい。
まわりの目を気にするあまり子供をガチガチに縛りつけてしまうわけです。
全ては子供が困らないため
子供が恥をかかないため
子供の将来のため
子供を小さい時にちゃんとしつけておかないと、学校に上がってから困るんじゃないか?
先生の言うことを聞かない子になるんじゃないか?
何にもできない大人になるんじゃないか?
学校に上がってからいじめられるんじゃないか?
しつけができないなんて、親として失格じゃないのか?
気がつけば注意、姿を見れば叱る、声を聞けば怒鳴る。みたいな状態ではないでしょうか?
気が付けば、しつけと虐待の違いなんて考えず、自分本位でこどもを縛りつけることばかり考えてしまうんです。
子育ては孤独
お母さんがやっているのは、子育てだけではありません。
多くの方は、子供達の教育費も貯めなくてはなりませんから、パートや正社員で働いています。
イクメンという言葉が流行る昨今であっても、家事の主役はあくまでお母さんです。
保育園や、学校との連絡、実家の両親のこともあるかもしれません。
それに加えて、予防接種や歯磨きなどの健康管理もお母さんの仕事ではないでしょうか?
多くのママさんは、なんだか常にイライラを抱えて子育てをしているようです。
生まれた時、あんなに感動して涙を流して、喜んだわが子でしたね。五体満足で産まれてくれたらそれでいいって幸せな気持ちでお腹をさすっていたのにね。
初めて勢いよくおっぱいをすってくれた時の感動、お食い始め、離乳食を食べてくれた、誕生から6ヶ月のお祝い、はじめの一歩、一歳のお誕生を無事迎えて、どんなにホッとしたことか。
あの頃はまだ笑顔もあったのに。
3歳になり4歳になってくると、少しずつしつけの必要性を感じることも多くなったはずです。
楽しいはずの子育てが、気がつけば毎日イライライライラして、子供を叱ってばかり、、子供の寝顔を見つめながら、ゴメンねって、罪悪感に浸った方もいるかもしれません。
幼少期はなんのためにあるのでしょう?
そんな孤独を耐えて子育てしているのに、皆さんは幼少期の子育ての目標をどこに置いていますか?
小学校にはいってから困らないようにするため?
中学校で学校についていけるように?
一体なんのためなのでしょう?
この問いには答えがあります。答えはズバリ
思春期を超えさせること
これです。
なぜなら、子ども自信が抱えるストレスはこの時期に爆発するからです。
エネルギーレベルが強ければ、強烈な反抗期。
エネルギーレベルが弱ければ、うちにこもります。部屋にこもって親に何も話さなくなってしまうのです。
またある子は遊びが爆発します。
大学にもなればお金もアルバイトで自由になりますからさらに加速します。
大学は、異性との出会い場・遊びの場です。決して勉強するところではありません。
その時のレベルで、就職に向かい、結婚相手に出会い、家庭を築いていきます。
どんなに手をかけてしつけたからと言って、品行方正さわやかな好青年になんてならないんです。
しつけの代わりに大事なことはひとつだけ
それではいったい、子育ては何を見つめてやっていけば良いのでしょう?
結論から言いますと、子供の中の根っこの根っこに絶対肯定感を植え付けるだけ。
どんな時にも親は自分を愛してくれる、信じてくれる、味方になってくれる。自分は自分のままで愛される存在なのだ。安心していいんだ!
と、好きなことに集中できる自己肯定感に満たされること。
それだけなんです。
そして、肯定間を植え付ける以上に大切なことは、親自身が神さまを味方につけて、絶対的な安心感を携えていること。
例えどんなことがあっても、
大丈夫!あなたには神さまがついてるから!
大きな愛のエネルギーをたくさん与えられてるから!
と言い続けるだけです。ほんとにこれだけで子供はすくすくとたくましく育っていきます。
たかだか10年足らずの子育て経験しかないのに、自分でなんとかしようとするから歪みが生じるんです。子どもを信じて神様のエネルギーの流れに乗せてあげれば、自動操縦で立派に育っていきます。
いっさいの不安を手放して、子どもを信じましょうよ!子供たちに絶え間なく働く神様のエネルギーを信じましょうよ!
受け取る準備さえできていれば絶対に絶対に絶対に、子供は立派に育っていきますから。
しつけなんて一切辞めて、本質的な愛情を育んでいきましょう。
まとめ
以上、子育てにしつけなんて必要ないというお話をしました。
子育ての本質は絶対的な肯定感を示し続けることです。
そこにはしつけなんて必要ありません。
子供に対しては「親から絶対的に愛されている」という安心感をあたえ、
親自身は「神様が味方についているから絶対に大丈夫」という自信をもつことが大切です。
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