欠乏(けつぼう)マイドとは
欠乏(けつぼう)は、不十分である、不足している、満足できない、という意味をもっています。
私達は、普段の生活の中で習慣的に欠乏マインド、欠乏意識を持っているようです。
それが結果的に、新しいものを創造していく力を弱めたりしていくので、見過ごすことができません。
具体的にみていきましょう。
●忙しくて、時間がない。
●お金がないので、買えない。
●新しい事を始めたいけれども、経験がないのできそうもない。
●60歳を過ぎて、体力がないのでこの仕事は無理だ。
●学歴がないので、いい会社に入れない。
●家が貧しいので教育を受けられない。
●性格がよくないので、友人ができない。
●環境がよくないので、子供がよく育たない。
このように、時間がない、お金がない、自信がない、経験がない。
〇〇がないと言う意識が、欠乏マインドなのです。
欠乏マインドはややもすれば、言い訳をする時に大活躍します。
また、欠乏マインドは、新しい願いを創り出すことを難しくしていきます。
それでは、私自身を見つめて、どのような欠乏マインドがあるのか少し調べていってみましょう。
もうひとりの自分で自分を見つめていってください。
すると様々な欠乏マインドがある事に気がつくと思います。
●年なので体力的に難しい。
と言う場合には、若さがないと言う欠乏マインドに陥っています。
反対に若い人は、
●まだ若いので経験が乏しく難しいです。
と言ったりします。
これは経験がないと言う欠乏マインドに陥っているわけです。
歳をとった人は若さがないといい、若い人は経験がないといいがちなのですね。
では中年の人はどうなるのでしょうか?
若さも経験も不十分だと。
いずれにせよ様々な欠乏マインドに陥っているのです。
もっともっとマインド
私たちは、欠乏マインドの仲間となる、もっともっとマインドを持っています。
パット見には、もっともっとマインドは向上心に溢れているようです。
もっともっと収入をアップしたい。もっともっと健康になりたい。
もっともっと知識を得たい。もっともっとお金持ちになりたい。
欠乏マインドより優秀に見えます。
しかしよく見ると同類なのですね。
●もっともっと試験で良い点をとりたい。
●もっともっと収入をアップしたい。
●もっともっと資格を取りたい。
●もっともっと良い会社に入りたい。
●もっととっと実力をつけたい。
一見すると向上心や上昇思考があるように捉えることができるので良いように思います。
しかし、もっともっとの意識の中には、まだまだ足りないという欠乏マインドがあるのです。
今に満足できない、今は足りていない、今は不満足である。今は不十分だ。
という意識です。
●今の点数はまだ足りない。
●今の収入はまだ足りない。
●今の資格ではまだ足りない。
●今の会社ではまだ足りない。
●今の実力ではまだ足りない。
すなわち気がつかないうちに欠乏マインドに覆われているのです。
今に満足できないので、どこまでいっても満たされることはありません。
欠乏マインドで目標を達成しても、さらに上に行かないとダメだ!となってしまいます。
柔道選手がオリンピックで銅メダルを取りました。
金メダルでないとまだまだです。
金メダルをとりました。二連覇しないといけません。
二連覇しました。でも三連覇した人がいるのでまだまだです。
キリがありません。
今に十分満足するマインドにならない限り、終わりがないのですね。
もっともっとマインドは、実は欠乏マインドなのです。
もっともっとマインドはどこまでいっても終わりがありません。
もっともっとマインドはどこまでいっても満足できないのです。
欠乏マインドの洗脳
私たちは、知らず知らずのうちに、欠乏マインドの洗脳を受けているところがあるのです。
それは親からの言葉かけもあるかもしれません。
●お前は頭が良くない。
●あなたは性格がよくない。
●うちの家系は短命の家系なんだ。
●あんたは神経質だ。
このように子供に対して平気でマイナスの言葉というゴミを投げる親がいたりします。
親や家族からマイナスの言葉を何度も言われて、刷り込まれてしまったりします。
また学校の先生から欠乏マインドを刷り込まれる事もあったりします。
わが学校では、一流国立大学に合格した人はいないので○○大学は難しい。
先輩から欠乏マインド刷り込まれることもあります。
姉妹や友人から欠乏マインドを刷り込まれることもあります。
マスコミを通して欠乏マインドを刷り込まれることも多いのです。
特にマスコミにおいては、事件とか事故の報道が頻繁になされ、世の中は不安と恐怖や心配が、あちらこちらに沢山あると言う事が刷り込まれてきます。
これは、安心とか、安全とか、平安がないという欠乏マインドを刷り込まれてしまうのです。
しかも無意識のうちに刷り込まれてしまいます。
また老後資金2000万円問題。マスコミで取り上げられた事がありました。
未来の生活不安、金融不安、経済不安、それを何度も特集する事によってそれを見た人たちが何度も何度も、欠乏マインドを刷り込まれてしまう事になるのです。
いつどこで誰が欠乏マインドを投げてくるのかを知ることが重要です。
周りに対する欠乏マインド
また、自分自身に対して欠乏マインドを持つ人は、自分の配偶者や自分の子供、周りの人々に対しても欠乏マインドで見てしまう傾向があります。
自分の配偶者の欠点に、まっ先に目が行ってしまう。
良い所、長所よりも、欠点をまっ先に注目してしまい、先に考えてしまうのです。
子供に対しても子供の長所、良い所よりも
欠点、問題点、改善すべき点にまず考えが行ってしまい、それを何度も注意してしまう。
親としては、子供のために!と思っていたとしても、ことによっては、親子の関係も悪くなってしまう。おまけに、夫婦関係まで悪くなってしまう事になるのです。
欠乏マインドは自分に対しても、同時に周りに対しても持ってしまうので、夫婦、親子、兄弟、友人、職場、地域など、全ての人間関係において亀裂を生じてしまいかねません。
このように私たちは、周りから多くの欠乏マインドを、知らないうちに無意識のうちに刷り込まれてしまうと同時に、知らないうちに周りに対して、欠乏マインドのごみを投げ込んでしまうのですね。
もはや欠乏マインドの洗脳を受けて与えていると言っても過言ではないでしょう。
欠乏マインドは、このようにして自分の意識の中にしっかりと定着して、こびりつくように存在しているのです。
そして本来の良いものを創造していく力を受け取れなくしてしまいます。
本当に残念なことです。
欠乏マインドは、欠乏を引き寄せて、欠乏した未来を創造する。
欠乏マインドの恐ろしい所は、そのマインドがネガティブ感情と合わさってそれが常態化すると、その欠乏マインドが欠乏した未来を創造してしまうということなのです。
またその欠乏マインドに類似した欠乏した事柄を引き寄せてしまうのです。
私たちのネガティブな感情と私たちの欠乏マインドが合わさって、欠乏マインドによる結果を引き寄せたり創造ししてしまうのです。
欠乏マインドからのチェンジ
ですからこの欠乏マインドをチェンジして別のものに変えていく必要があります。どのようなものに変えていくと良いのでしょうか。
欠乏マインドをチェンジして、無限の豊かさマインドに交換していきます。
欠乏マインドは、自分に対しても周りに対しても限界と制限を設けてしまいます。
●自分にはとてもできない。
●自分の配偶者にはとても難しいおそらくできないだろう。
●自分の子供には到底難しい、挑戦しても無駄だ。
このように欠乏マインドは、限界と制限を設けて可能性のスペースをなくしてしまうと言う事にもなってしまいます。
この欠乏マインドに対して、豊かさマインドと言うものがあります。
豊かさマインドは、限界と制限を設けません。
それどころか「無限の可能性」を見つめていきます。
ですから豊かさマインドは、「無限の豊かさマインド」と言う事ができます。
欠乏マインドは限界と制限を設け、豊かさマインドは無制限と自由の世界につながっていくことができます。
Gメソッドは、欠乏マインドを、マインドチェンジして、無限の豊かさマインドに変えていくことが重要な柱の1つとなっています。
欠乏マインドから、マインドチェンジして、無限の豊かさマインドに、マインドセットしていく事が出来るのです。
それがGメソッドの大きな目的のひとつでもあります。
●私自身の中にある欠乏マインド。
●配偶者に対する欠乏マインド。
●一般の社会や世の中に存在するところの欠乏マインド
●テレビや、インターネットマスコミの中に存在する欠乏マインド。
●職場の人、電車の中で聞いた会話、一般社会の中に存在している欠乏マインド。
あちらこちらにいろいろな欠乏マインドがありますから、それにまず気づくことが大切です。
たくさんの欠乏マインドを発見していってください。
今までは欠乏マインドに気づかずに生きてきた人生だったかもしれません。
いままで気づかなかった、欠乏マインドに気づくとで、
人生の大きな変化が、スタートして行きます。
気づく事が、1番大切な事なです。
変化のスタートは気づきから訪れます。
マインチェンジするためには
さらに、欠乏マインドを無限の豊かさマインドにマインドチェンジする具体的な道具が、
7つの空間ツイートの中で、特にあり感ツイートなのです。
あり感ツイートをGもん君アプリの❤マークを使って一定の回数をチャレンジしてください。
500回・1000回・5000回・1万回・3万回・5万回などと
回数はそれぞれいい気分でできる回数にチャレンジしてみてください。
一定の期間はかかりますが、あり感ツイートをやればやるほどに、無限の豊かさマインドが定着してくることでしょう。